福井県内の諸藩 | |
【参考資料・文献】 | 【利用上の注意】 |
名字の由来のTop | 地名の由来のTop |
名字と地名のMenu | 藩のTop |
スポンサーリンク |
スポンサーリンク |
・ 越前国。安居城。戸田家。2万石。天正13年に、戸田勝成が立藩。戸田勝成が関ヶ原の合戦で西軍に属して除封。【出典】
■ 越前勝山藩(えちぜんかつやまはん): 福井県勝山市
・ 越前国。勝山城。小笠原家。譜代大名。2万2000石。寛永元年(1624年)に立藩。控間:帝鑑間。格:城主。位階:従五位下。上屋敷:千代田区丸の内。寛永元年に、結城秀康の子の松平直基が立藩。その後、直基の弟の直良が越前国大野へ転封になり、美濃国高須から小笠原貞信が入封。以後、小笠原家が続いて廃藩置県へ。【出典】
・ 「勝山」の地名。
・ 1691年に美濃国高須から入った。
# 勝山藩士:
・ 越前国。松岡陣屋。越前松平家。親藩。5万石。慶安元年に、福井城主の松平忠昌の子の昌勝が分知されて立藩。子の宗昌が宗藩を継いで廃藩。【出典】
■ 大野藩(おおのはん): 福井県大野市
・ 「大野」の地名。
・ 幕末に幕府は越前大野藩に北蝦夷(樺太)を領分相当として開発指示をした。しかし大野藩の大野丸が択捉島に行く途中に根室沖で座礁し沈没。樺太の開発は中止となった。大野藩なんて小藩なのに外洋船なんてすごいな。大野丸は長さ約33メートル。建造費1万両。【大名の家計簿 “崖っぷち”お殿様、逆転の財政改革】
# 大野藩士: 井上家
# 大野藩(おおのはん): 越前国。大野城。土井家。譜代大名。4万石。控間:雁間。格:城主。位階:従四位下。上屋敷:千代田区神田淡路町。寛永元年(1624年)に、結城秀康の子の松平直政が立藩。その後、直政の弟の直基や直良が越前勝山から入封した。天和2年(1682年)の土井利房からは土井家が八代続いて廃藩置県へ。【出典】
■ 小浜藩(おばまはん): 福井県小浜市
・ 越前国。葛野陣屋。紀州松平家。親藩。3万石。元禄10年(1697年)に、紀州藩主の徳川光貞の四男の松平頼方(のちに徳川吉宗)が立藩した。【出典】
・ 越前藩。越前松平家。親藩。2万5000石。寛永元年、福井藩主の松平忠昌の弟の直良が分知されて立藩し、越前勝山に転じて廃藩。【出典】
■ 鯖江藩(さばえはん): 福井県鯖江市
・ 「鯖江」の地名。
# 鯖江藩(さばえはん): 越前国。鯖江陣屋。間部家。譜代大名。5万石。控間:雁間。格:城主格。位階:従五位下。上屋敷:千代田区大手町。享保5年(1720年)に、村上藩主の間部詮言が西鯖江に入封して、翌年に鯖江藩領の飛び地と小浜藩領の東鯖江の交換により東鯖江に藩庁をおいた。【出典】
・ 若狭国。高浜城。木下家。外様大名。2万石。天正9年、溝口秀勝が立藩。その後、豊臣秀吉の家臣が入って、酒井家の若狭入封により廃藩。【出典】
・ 越前国。高森陣屋。本庄松平家。譜代大名。5万石。元禄10年(1697年)に、紀州藩主の徳川光貞の子の頼職が立藩。のちに、本庄松平家が入封。【出典】
■ 敦賀藩(つるがはん): 福井県敦賀市
・ 「敦賀」の地名。
# 敦賀藩士:
# 敦賀藩(つるがはん): 若狭藩。鞠山陣屋。酒井家。譜代大名。1万石。控間:菊間。格:城主。位階:従五位下。上屋敷:千代田区皇居外苑。天和2年、小浜藩主の酒井忠直の子が分知されて立藩。明治3年(1870年)に敦賀藩から鞠山藩へ改称。【出典】
・ 越前国。長谷川家。天正13年に、長谷川秀一が立藩。【出典】
■ 福井藩(ふくいはん): 福井県福井市
■ 丸岡藩(まるおかはん): 福井県坂井市
・ 「丸岡」の地名。
# 丸岡藩士:
# 丸岡藩(まるおかはん): 越前国。丸岡城。有馬家。外様大名。5万石。控間:帝鑑間。格:城主。位階:従五位下。上屋敷:港区新橋。寛永元年、福井藩主の松平忠直の改易によって、付家老の本多成重が独立して立藩。本多家は四代で改易になって、元禄8年(1695年)の有馬清純からは有馬家が八代続いた。【出典】
・ 越前国。吉江陣屋。越前松平家。親藩。2万5000石。慶安元年(1648年)に、福井藩主の松平忠昌の子の昌親が分知されて立藩。その後、宗家を継いだために廃藩。【出典】
【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。