千葉県内の諸藩 | |
【参考資料・文献】 | 【利用上の注意】 |
名字の由来のTop | 地名の由来のTop |
名字と地名のMenu | 藩のTop |
スポンサーリンク |
スポンサーリンク |
・ 上総国。姉崎陣屋。越前松平家。譜代大名。1万石。慶長12年に、結城秀康の次男の松平忠昌が上総国の市原に1万石を賜って立藩した。【出典】
・ 安房国。三枝家。譜代大名。1万石。寛永15年に、三枝守昌が立藩した。守昌の死後、子の守全が弟に分知したため廃藩。【出典】
■ 飯野藩(いいのはん): 千葉県富津市
■ 一宮藩(いちのみやはん): 千葉県一宮町
・ 下総国。岩富城。北条家。譜代大名。1万石。豊臣秀吉に小田原平定後に、北条氏勝が立藩したが、子の氏重が下野国富田に転封となって廃藩。【出典】
・ 下総国。臼井城。酒井家。譜代大名。3万石。豊臣秀吉の小田原平定後に、酒井家次が立藩したが、関ヶ原の合戦後に上野国高崎に転封になって廃藩。【出典】
・ 上総国。潤井戸陣屋。永井家。譜代大名。1万5000石。元和5年に下総国の古河藩主の永井直勝の子の永井尚政が大名となって立藩した。【出典】
・ 「大網」の地名。
・ 上総国。大網陣屋。譜代大名。1万1000石。明治2年に、戊辰戦争で藩庁が焼失したため、米津政敏が出羽国の長瀞藩から移転した。【出典】
・ その後龍ケ崎藩へ。
■ 大多喜藩(千葉県大多喜町)
■ 大多喜新田藩
■ 小見川藩(おみがわはん): 千葉県香取市
■ 生実(おゆみ)藩(おゆみはん): 千葉県千葉市
・ 上総国。八幡陣屋。堀家。譜代大名。1万石。寛文8年(1668年)に、堀直良が藩庁を苅谷から移した。子の直宥が越後国の椎谷に転封になって廃藩。【出典】
・ 上総国。勝浦陣屋。植村家。譜代大名。1万1000石。天正18年(1590年)に植村泰忠が3000石で入封。泰忠の曽孫の忠朝が大名になって立藩した。【出典】
■ 勝山藩(かつやまはん): 千葉県鋸南町
・ 「勝山」の地名。
・ 安房勝山藩(あわかつやまはん): 安房国。勝山陣屋。酒井家。譜代大名。1万2000石。元和8年(1622年)に立藩。控間:菊間。格:無城。位階:従五位下。上屋敷:千代田区外神田。元和8年に、内藤清政が3万石で立藩。その後、小浜藩主の酒井忠直の甥の忠国が入封して酒井家が九代続いた。【出典】
# 勝山藩士: 鳩山家
・ 上総苅谷藩(かずさかりやはん): 上総国。苅谷陣屋。堀家。譜代大名。1万石。寛永19年に、堀直之の子の直景が、父の遺領とあわせて1万石の大名になって立藩。【出典】
■ 菊間藩(きくまはん): 千葉県市原市菊間
・ 「菊間」の地名。
・ 明治初年の藩名。譜代・小藩。藩庁は市原郡菊間村(市原市)。明治元年駿河国駿府藩(徳川家)の成立により、駿河・越後・三河・伊豆4国内に領地5万石を領有する駿河国沼津藩主の水野忠敬が、上総国菊間藩5万石に入封を命ぜられ、当地に藩庁を置いて成立。明治2年6月版籍奉還、同4年廃藩置県となる。【出典】
・ 上総国。菊間陣屋。水野家。譜代大名。5万石。明治元年に、徳川家達が江戸から駿河国・遠江国に移封され、水野忠敬が駿河国の沼津藩から入封した。【出典】
・ 下総国。栗原陣屋。成瀬家。譜代大名。3万4000石。天正18年(1590年)に、成瀬正成が立藩した。三代の之虎が嗣子がなく早世したため廃藩。【出典】
■ 久留里藩(くるりはん): 千葉県君津市
・ 「久留里」の地名。
・ 1742年に黒田家が沼田より入封。黒田家は、もとは中山家といい、北条家に仕えていた。黒田は外祖の姓。
# 上総国。久留里城。黒田家。譜代大名。3万石。天正18年に立藩。控間:雁間。格:城主。位階:従四位下。上屋敷:千代田区外神田。豊臣秀吉の小田原攻め後に、榊原康政の実子である大須賀忠政が3万石で入封した。土屋家2万石を経て、寛保2年(1742年)に、黒田直純が入封後、黒田家が廃藩置県まで続いた。【出典】
# 久留里藩士:
■ 五井藩(ごいはん): 千葉県市原市五井
・ 「五井」の地名。
・ 江戸期の藩名。譜代・小藩。陣屋は市原郡五井(千葉県市原市)。伊勢国三重・河曲(かわわ)・多気、下野国芳賀(はが)・河内、上総国市原の各郡内に1万石を領有する伊勢国西条(南林崎)藩主有馬氏恕が、天明元年当地に陣屋を移して成立。有馬氏は参勤交代を行わない定府大名であったが、天明元年から半年ごとに参勤交代する大名に昇格した。天保11年5月に市原郡内の4,411石余が伊勢・下野両国内に領知替となり、同12年氏郁が下野国吹上に陣屋を移し、当藩は廃藩となった。【出典】
# 上総国。五井陣屋。有馬家。外様大名。1万石。天明元年に立藩。控間:菊間。格:城主。位階:従五位下。上屋敷:千代田区日比谷公園。天明元年(1781年)に、伊勢国の西条藩主の有馬氏倫が、飛び領であった上総国五井に藩庁を移して立藩。【出典】
・ 上総国。小久保陣屋。田沼家。譜代大名。1万石。明治元年に、徳川家達(いえさと)の駿河国・遠江国への移封によって、田沼意尊が遠江国の相良藩から入封した。【出典】
■ 佐倉藩(さくらはん): 千葉県佐倉市
・ 上総国。桜井陣屋。滝脇松平家。譜代大名。1万石。明治元年に、徳川家達(いえさと)の移封にともなって、滝脇松平信敏が駿河国の小島から入封した。【出典】
■ 佐貫藩(さぬきはん): 千葉県富津市
・ 「佐貫」の地名。
# 上総国。佐貫城。阿部家。譜代大名。1万6000石。天正18年(1590年)に立藩。控間:雁間。格:城主。位階:従五位下。上屋敷:千代田区霞が関。豊臣秀吉の小田原攻めの後に、内藤家長が入封して立藩した。その後、桜井松平家・能見松平家が藩主になって、宝永7年(1710年)の阿部正鎮からは、阿部家が八代続いて廃藩置県へ。【出典】
# 佐貫藩士:
・ 下総国。飯田陣屋。青山家。譜代大名。1万石。慶長8年に青山成重が立藩した。しかし、大久保長安事件に連座して改易になった。【出典】
・ 下総国。三浦家。譜代大名。1万石。豊臣秀吉の小田原攻めののちに、三浦重成が立藩した。重成の子の重勝に嗣子がなくて改易になって廃藩となった。【出典】
・ 下総国。山川城。水野家。譜代大名。3万石。慶長14年に、久松松平定綱が立藩した。その後、水野忠元が3万石で入封した。【出典】
・ 下総国。山崎陣屋。岡部家。譜代大名。1万2000石。天正18年(1590年)に、岡部長盛が立藩したが、すぐに丹波国の亀山藩に転封となり廃藩に。【出典】
■ 請西藩(じょうざいはん): 千葉県木更津市
■ 関宿藩(せきやどはん): 千葉県野田市
・ 下総国。戸田家。譜代大名。1万1000石。明治3年に高徳藩主の戸田忠綱が藩領の交換によって、曽我野に転じて立藩した。【出典】
■ 高岡藩(たかおかはん): 千葉県成田市
・ 上総国。高滝陣屋。板倉家。譜代大名。2万石。天和3年(1683年)に信濃国の坂木藩主の板倉重種の甥にあたる板倉重宣が分知されて立藩した。【出典】
■ 多古藩(たこはん): 千葉県多古
・ 「多古」の地名。
・ 1635年に入封、1713年に大名となった。
# 下総国。多古陣屋。久松松平家。譜代大名。1万2000石。天正18年(1590年)に立藩。控間:菊間。格:無城。位階:従五位下。上屋敷:文京区小石川。豊臣秀吉の小田原攻めの後に、保科正光が入封して立藩。土方氏を経て久松松平勝以が大名となって立藩した。【出典】
# 多古藩士:
■ 館山藩(たてやまはん): 千葉県館山市
・ 「館山」の地名。
# 安房国。館山陣屋。稲葉家。譜代大名。1万石。天正18年に立藩。控間:菊間。格:無城。位階:従四位下。上屋敷:中央区築地。豊臣秀吉の小田原攻めの後に、里見義康が立藩したが、その後解約。天明元年(1781年)に、稲葉正明が大名となって陣屋を構えた。【出典】
# 館山藩士:
・ 上総国。鶴舞城。井上家。譜代大名。6万石。明治元年に徳川家達(いえさと)の駿河国・遠江国への移封によって、井上正直が遠江国の浜松藩から入封した。【出典】
■ 鶴牧藩(つるまきはん): 千葉県市原市
・ 「鶴牧」の地名。
・ 1827年に若年寄の水野忠照が入った。結城藩が本家で、その分家の沼津藩の分家。
# 上総国。鶴牧陣屋。水野家。譜代大名。1万5000石。文政10年(1827年)に立藩。控間:雁間。格:城主格。位階:従五位下。上屋敷:中央区八重洲。文政10年に、安房国の北条藩主の水野忠韶が上総国市原郡・望陀郡に移封され、市原郡椎津に藩庁をおいて、鶴牧と改称した。水野家は、三代にわたって、鶴牧藩主をつとめ廃藩置県に。【出典】
# 鶴牧藩士:
・ 安房国。東条陣屋。西郷家。譜代大名。1万石。元和6年に西郷正員が立藩した。三代の寿員が下野国上田に転封となって廃藩。【出典】
・ 安房国。長尾城。本多家。譜代大名。4万石。明治元年に徳川家達(いえさと)の駿河国・遠江国への移封によって、本多正訥が駿河国田中から入封した。【出典】
・ 安房国。花房陣屋。西尾家。譜代大名。3万5000石。明治元年に、徳川家達(いえさと)の移封によって、西尾忠篤が遠江国の横須賀から入封した。【出典】
■ 百首藩(ひゃくしゅはん): (千葉県富津市・旧百首)
・ 安房国。船形陣屋。平岡家。譜代大名。1万石。元治元年(1864年)に若年寄の平岡道弘が加増されて1万石の大名となって立藩した。【出典】
・ 下総国。舟戸陣屋。本多家。譜代大名。1万石。元治2年に本多正重が立藩した。正重の養子の正貫が8000石に減封となって廃藩。【出典】
・ 安房国。北条陣屋。水野家。譜代大名。1万2000石。寛永15年に屋代忠正が立藩した。屋代家が改易になったのち、水野忠定が入封した。【出典】
・ 上総国。松尾城。太田家。譜代大名。5万石。明治元年に、徳川家達(いえさと)の駿河国・遠江国への移封によって、太田資美が遠江国の掛川から入封した。【出典】
・ 下総国。矢作城。三浦家。譜代大名。1万石。豊臣秀吉の小田原平定後に、鳥居元忠が立藩した。のちに、三浦正次が1万石の大名になって立藩した。【出典】
【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。