群馬県内の諸藩
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■ 安中藩(群馬県安中市)

・ 板倉家3万石・譜代大名
・ 1855年に安中藩で行われた「安政遠足(あんせいとおあし)」は日本最初のマラソンという。【江戸300藩の意外な「その後」 日本博学倶楽部 PHP研究所】

■ 伊勢崎藩(群馬県伊勢崎市)

・ 酒井家2万石・譜代大名・陣屋
・ 1681年に前橋藩の酒井家から2万石を分知された。姫路藩の分家。

■ 小幡藩(群馬県甘楽町)

・ 松平家2万石・譜代大名
・ 織田家が1767年に出羽国天童に転じた後、松平(奥平)家の分家が入った。

■ 高崎藩(群馬県高崎市)

・ 大河内家8万2千石・譜代大名
・ 1717年に大河内(松平)家が再封された。知恵伊豆といわれた松平信綱の家系で、三河国吉田藩が本家。

■ 館林藩(群馬県館林市)

・ 秋元家6万石・譜代大名
・ 1845年に出羽国山形から入封。「群馬県館林の暑さは山形産(笑)
・ 榊原康政: 徳川四天王の一人。三方原の戦いで大敗した徳川軍の中で、孤軍武田軍に奇襲作戦を行ったので有名。徳川家康の関東入国後、上野国館林城主(10万石)。
・ 1845年に館林に転封してきた秋元志朝(ゆきとも)は長州藩主の毛利定広の実の兄だった。さて、佐幕につくか、勤皇につくか難しい選択を迫られた。結局、館林藩は千人を超える派兵を行い、戦後には1万両を超える恩賞をもらった。

■ 七日市藩(群馬県富岡市)

・ 前田家1万石・外様
・ 加賀藩前田家の分家。
・ 加賀藩の支藩
・ 前田利家の五男で江戸で人質にされていた前田利孝が1616年に1万石で立藩した。加賀藩の参勤交代のときには中継地の役割を果たした。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】

■ 沼田藩(群馬県沼田市)

・ 土岐家3万5千石・譜代大名
・ 1742年に老中の土岐頼稔が入封。美濃国守護の土岐氏の一族。

■ 前橋藩(群馬県前橋市)

・ 松平家17万石・家門
・ 松平大和守
・ 家康の関東入国後、平岩親吉、酒井重忠が入り、酒井家の四代の酒井忠清大老となり「下馬将軍」と呼ばれた。
・ 1749年に越前松平家の分家が入った。

■ 吉井藩(群馬県高崎市)

・ 松平家1万石・家門
・ 吉井藩の松平家の祖は、徳川家光の正室の弟の鷹司(松平)信平で、江戸に下って旗本となり、後に大名となった。信平の正室は、家康の孫で紀州藩の松姫。


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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