栃木県内の諸藩
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■ 足利藩(栃木県足利市)

・ 戸田家1万1千石・譜代大名・陣屋

■ 宇都宮藩(栃木県宇都宮市)

・ 戸田家7万7千石・譜代大名

・ 1774年に松本藩の分家の戸田家が入封。

■ 大田原藩(栃木県大田原市)

・ 大田原家1万1千石・外様

■ 烏山藩(栃木県那須烏山市)

・ 大久保家3万石・譜代大名

・ 小田原藩大久保家の一族。1686年に小田原藩祖の大久保忠世の弟の子孫で旗本だった忠高が大名となり、その後若年寄から老中となった。

・ 下野国烏山藩主。和歌の名手。親昌の祖父は堀秀政。親昌は駿府加番や大坂加番を務めた。加番とは定番を加勢して城を警護する役目。

■ 喜連川藩(栃木県さくら市)

・ 喜連川家1万石・外様・陣屋

・ 足利家(古河公方)。一応5千石だったが、格式は10万石といわれた。

■ 黒羽藩(栃木県大田原市)

・ 大関家1万8千石・外様・陣屋

・ 大関増業(ますなり): 下野国黒羽藩主。増業は諸国から名水を集め、水の研究にうちこんだ。増業は1781年に伊予国大洲藩の加藤泰の八男として江戸藩邸で生まれた。1811年に黒羽藩の大関家の養嗣子となった。

・ 黒羽藩は18611年に、お家騒動で失脚した前の藩主に代わって、遠江国横須賀藩主の孫の大関増裕が藩主となった。増裕は幕府の海軍奉行となった。しかし、藩主の不慮の死により新政府に恭順した。【江戸300藩の意外な「その後」 日本博学倶楽部 PHP研究所】

■ 佐野藩(栃木県佐野市)

・ 堀田家1万6千石・譜代大名

・ 佐倉藩の分家。

・ 堀田正敦: 下野国の佐野藩主。鳥類研究家で、様々な鳥を観察し、画工に鳥の絵を描かせて図鑑にまとめた。堀田正敦は1758年に仙台藩の六代藩主の伊達宗村の八男として生まれた。その後、近江国堅田藩(滋賀県大津市)の堀田家の養子となり、後に下野国佐野に転封になった。寛政の改革では財政を担当し、若年寄を長く務めた。また、諸大名や旗本の系図や略歴をまとめた「寛政重修諸家譜」の編纂の総裁を務めた。

■ 高徳藩(栃木県日光市)

・ 戸田家1万石・譜代大名・陣屋

・ 1866年に宇都宮藩主の孫で家老の戸田忠至が分知された。

■ 吹上藩(栃木県栃木市)

・ 有馬家1万石・譜代大名・陣屋

・ 久留米藩の有馬家の分家。

■ 壬生藩(栃木県壬生町)

・ 鳥居家3万石・譜代大名

・ 公家出身の壬生胤業が下野国下向し、1462年に築城した。

・ 鳥居家は、関ヶ原の戦いの前哨戦の伏見の戦いで討ち死にした鳥居元忠が下総国矢作で4万石を領し、その後子孫が平10万石、山形22万石を領したが跡継ぎがいなかったため取りつぶし、後に再興した。栃木名産のかんぴょうは鳥居家が前任地の近江国水口の名産を持ち込んだ。


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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