大伴氏
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■ 大伴氏(おおとも うじ)

# ルーツ: 天忍日命(あまのおしひのみこと)・日臣命(ひのおみのみこと)

# 拠点: 大和国南部?

# 特徴: 軍事氏族

# 役職: 大連

・ 軍事的伴造氏族。

・ 天孫降臨の際に武装して天孫を先導した天忍日命を祖とする。

・ 姓(かばね)は「連」

・ 八世紀以降、藤原氏の台頭とともに衰退した。

※ 太宰府の太宰師に飛ばされた大伴旅人は大納言になって戻ってくるのか。大伴旅人は太宰府にいる間、酒に溺れていたようだ。酒の歌が多かったらしい。大伴旅人が太宰府にいる間に、親しかった長屋王一家は滅んだ。そうか、大伴旅人は藤原房前に媚びへつらい、下ったのか。これはしょうが無い。昔も今も「長いものには巻かれろ」だから。

【ヤマト王権と十大豪族の正体 物部、蘇我、大伴、出雲国造家 関裕二著 PHP研究所】によると、物部氏は吉備出身。尾張氏は近江や東海の出身とみなすが、少なくともヤマト建国に両地域が大きく関与していたことは間違い無い。そして、物部系と尾張系の神が出雲に赴いて、国譲りを強要した。

■ 大伴氏からでた名字: 「久米」「佐伯」【名字の謎学 博学こだわり倶楽部編 KAWADE夢文庫】

■ 大伴氏は子孫が繁栄せず、また「伴(ばん)」姓に改姓したため大伴姓は広がらなかった。【名字の謎学 博学こだわり倶楽部編 KAWADE夢文庫】

■ 大伴: 「大きな伴造(とものみやつこ)」という意味。もとは、摂津国河内国の沿岸地方を本拠地とし、後に大和国の磯城(しき)・高市地方に転じた。

・ 大伴氏は、弘仁14年(823年)に、桓武天皇の第三皇子である淳和天皇(大伴親王)が即位すると、その諱をさけて「伴(とも)」姓へと変えた。大隅国肝付氏三河国の伴氏は、大伴氏の末裔を称した。【日本史再検証 名家の「その後」 監修:森岡浩 別冊宝島】

■ 大伴(おおとも)氏: 「大伴」の名字の由来

・ 大化前代から平安時代初期にかけて活躍した有力伴造氏族・名門貴族。姓はもとは連、天武十三年(684年)に宿禰。氏名は朝廷に直属する伴(とも)を率いたことによる。その故地は日本書紀の雄略紀、欽明紀から摂津国和泉国の沿岸地域と思われる。一方、神武紀に遠祖が東征の功によって大和国築坂邑(奈良県高市郡)に宅地を賜ったとあり、また城上郡の跡見荘(奈良県桜井市)が大伴氏の別業であったことなどから、のちの大和国磯城・高市地方に根拠を構えたようだ。祖先の伝承は、古事記・日本書紀・新撰姓氏録などに見え、始祖は高皇産霊尊の後裔で、天孫降臨の際に武装して先導した天忍日命という。【出典

■ 伴(とも)氏

姓:真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連。直・臣・使主・君・公などの詳細

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