藩主の親族も内職
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■ 170208: 藩主の親族も内職

江戸時代、下級武士やその家族が内職をしていたという話はよく聞く(テレビでよく見る)が、だからといって上に立つ殿様達が豪勢な暮らしをしていたかというとそうでもなさそうだ。
伊予小松藩(愛媛県西条市)の会所日記の一節に、「寛政5年8月19日、藩主の母親か側室の女性の内職を中止させた」という記録がある。なんでも、箸置きを作って売っていたらしい。「みっともないからやめろ」と言ったのかは定かではないが、少なくともそういう実態はあったらしい。

この藩は、1万石の小藩だが、結構下々のものを思い、享保末年の大飢饉の際は、飢えて援助しなければならなかった飢人の数は5424人とあるが、餓死者は1人もでなかったそうだ。単純計算だが、1万石の藩の人口は約1万人。とすれば、飢えて援助しなければならなかった飢人の数は、藩内の人口の半分にも及んでいたことになる。ちなみに、この飢饉では今治藩で餓死者113人、松山藩で餓死者5705人。

なお、話はそれるが、天明2年から5年間続いた「天明の大飢饉」では、日本列島は北から南まで冷害と洪水が続き、作物は水浸しで食用にならず、日本国中で備蓄があったのは、紀州、水戸、熊本、米沢の四藩だけだったそうだ。そして、天明の大飢饉では、津軽藩では約8万人の餓死者をだし、そのため、多くの農民を他国から移住者として受け入れたそうだ。こうして、日本国内で「人」「言葉」「文化」の移動がなされたのである。

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