「小野小町」と「開示公文書」
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■ 「小野小町」と「開示公文書」

小野小町の画像とかけて何と解く 黒く塗り潰された開示公文書と解く その心は「実態があきらかになれば、そこに残るのは失望のみ」

つかみはOK

そもそも、小野小町は世界三大美女の一人として、日本では「美女」の代表のように言われているが、その実態を表現した文章も絵も存在しないようだ。たしかに、小野小町の前姿を描いた絵はあるらしいが、それらは近代になってから描かれたもので、明治以前の絵は全て後ろ姿らしい。絶世の美女だから絵にも描けないと理由づけるのももっともだが、まぁ伝説の世界ですから、多くは言わないでおこう。

ということで、今日の話題は「小野小町」。そう、秋田新幹線の「こまち」の由来の方ですね。

これだけの方ですから、その足跡は各地に残る。山形県内でも、米沢市の小野川温泉は小野小町に由来するといわれ、また米沢市の鬼面川(おものがわ)も、小野小町が病後に顔を映したところ、鬼の面に見えたという伝説によるともいう。

そして、お隣の宮城県に転ずれば、栗原市金成町姉歯(あねわ)という地名がある。「姉歯」と言えば先年世間を騒がせた事件を思い浮かべる人もいるでしょうが、その名字のルーツ地がここです。在原業平の書いた「伊勢物語」に「あねはの松」という言葉が出てくるが、この「あねは」は「姉歯(あねわ)」に由来するらしい。そして、ここには、小野小町の姉の墓があり、お参りに訪れた小野小町が傍らに松の木を植えた。これを「姉歯の松」と読んだ。

※ ここで大事なのは「小野小町には姉がいるということ」。これ大事、試験に出るから覚えといてね(笑)

さて、「小野」という名字だが、歴史的に一番有名なのは「小野妹子」だろうか。「いもこ」と言っても女性じゃないですよ、れっきとした男性で遣隋使として有名。それと、書道家の小野道風もいるか。この名字は、近江国滋賀郡小野村(滋賀県大津市小野)をルーツとし、孝昭天皇の子孫の春日氏の一族とも言われています。そして、一族の孝泰は武蔵国に移り住み、その子孫は武蔵七党の横山党・猪俣党になりました。名字の世界ではこの武蔵七党は大事。横山党からでた代表的な名字としては、「成田」「本間」「由木」「大串」「海老名」などがある。また猪俣党からでた代表的な名字としては、「人見」「糟屋」「岡部」「横瀬」などがあります。
これらの名字の皆さん、ひょっとして「小野小町」の遠い親戚かもしれませんよ。

次に、「小町」という「名」だが、これは名前では無いと言われる。
小野小町の町、これは後世の局と同じ意味らしい。いわゆる春日局と一緒だな。では町でなく小町とは?一説によると、前述のように小野小町には姉がおり、姉は小野町で、妹が小野小町だったのでは?とのこと。

ところで、小野小町で有名なのは「深草少将」のお話で、小野小町の処に九十九夜通った後に雪に埋まり凍死した(一説には疲労死)というお話。つまり、頑強に拒んだという話ですが、こんなことばかりやってるから、「まち針伝説」なんて生まれるんだよなぁ。「まち針」ってご存じですよね、裁縫の時に使う奴で、その特徴は「穴が無い」。「まち針」は本来は「小町針」といい、小野小町に由来するそうだ。あくまでも伝説のお話ですよ。

お後がよろしいようで。

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