「まき」について考える
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■ 「まき」について考える

 先日、鶴太郎の「終着駅」を見ていたら、れいによって出てきました、富山県の大牧温泉。

 地名の一般論として「牧」のついた地名は、古代の(官製)牧場に由来するものが多いと言うが、この地はどう見ても山間で牧場があったとは思えない。なんでも、庄川の濁流が多く渦を巻いていたことに由来し、多巻(おおまき)に由来するらしい。

 ところで山形県村山市にも大槇の地名が見られ、かつては大真木とも書いたという。以前は、ここも牧場由来の地名?と思っていたが、近くに最上川の難所の一つの碁点があるなぁ。難所というからには渦をまいて流れていたんだろうから、地名の大槇も多巻(おおまき)だったのかな?

 そういや、多巻って「たまき」とも読めるな。もしかして「たまき」の地名や名字も同じ由来か?

 そうそう、大槇から南にいったところに河北町があり「かほくちょう」と読む。山形県内の町名のほとんどは「まち」と読むが、河北町だけは「ちょう」読み。よく迷うのは「朝日町ワイン」を「あさひちょうワイン」と読むか「あさひまちワイン」と読むかだが、上記の理論により「まち」だな。

 話しは河北町に戻るが、河北町に「まき」という名字がみられ、「槙」「真木」などと書く。紛らわしいので、一部では「ひとつまき」「ふたつまき」と表現するが、この名字って村山市の大槇を由来とするのかなぁ?

 そういや大槇の近くに大久保という集落がありここに「朝烏(あさがらす)」という名字が見られる。この名字、同じ村山市の楯岡地区には広がらず、河北町に広がっている。大久保地区と楯岡地区は最上川で隔てられているが、河北町とは西部街道でつながっているので、昔は東西よりも南北に人の異動があったと推測される。

 蛇足だが、大槇の近くに白鳥という地名があり、かつては白鳥城があり白鳥氏がいた。白鳥氏は安倍氏の流れだったかなぁ?白鳥十郎は後に谷地(河北町)の武藤氏の跡を継いで谷地に入部したが最上義光にだまし討ちにあったらしく、谷地と山形は仲が悪いと聞いたことがある。

# 「マキ」の資料集

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