有楽町で逢いましょう
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有楽町といえばフランク永井の「有楽町で逢いましょう」(笑)。古いなぁ。

フランク永井の本名は永井清人で宮城県の出身。まぁ、それはさておき、ここで出てくる「有楽町」の地名の由来が今日の本題。

一般には、「有楽町」は織田信長の弟の織田有楽斎の屋敷がこの地にあったことに由来すると言われ、角川日本地名大辞典にもそう書かれている。しかし、織田有楽斎は大坂に住み、江戸には数回しか来たことが無いという話も聞く。だからといって江戸屋敷が無かったとはいえないが、江戸時代の資料にはこの地に屋敷があったという記録はないそうだ。

真実は如何に?織田有楽斎は利休の高弟としても有名で有楽流の茶人としても有名である。有楽町の近くには数寄屋橋があり、この地名は、この地に江戸城の数寄屋坊主の屋敷があったことに由来すると言われる。そして、この数寄屋坊主と茶人の有楽を結びつけて名付けられたという説もある。なお、江戸時代の資料に、このあたりに「有楽ヶ原」という地名もみられ、屋敷の有無はともかく、織田有楽斎に因むのは間違いはないのだろう。

さて、話を「有楽町で逢いましょう」にもどすが、日本語で「あう」という漢字は主に3つ。「会う」「遭う」「逢う」であるが、それぞれに使う局面が異なる。こういった事細かな表現が、日本語を難しくしているきらいもないではないが、日本文化の奥深さを作っているとも言えよう。

・ 会う: 友達に会う。
・ 遭う: 被害に遭う。
・ 逢う(常用漢字外・表外字): 恋人に逢う。

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