平成27年9月の鬼怒川氾濫の噂の真相(笑)
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 災害は、一般には天災と言われるが、平成27年9月に太平洋と日本海の2つの台風の影響で、関東地方北部に線状降水帯が停滞し鬼怒川上流の下毛野国に大量の降雨があり、中流域の水海道で氾濫した。

蛇足: 川は山地から沖積平野にでると流れが緩やかになり、土砂の堆積により河道が高くなり、より氾濫しやすくなり、また溢れた水もひきにくくなる。

・ 江戸時代の瓦版によると、高速利根川線の東遷により、高速新利根川線に合流する高速道の渋滞のリスクを懸念する学者もいたという。(笑)

 かつて、高速鬼怒川線は下毛野国と銚子を結び、高速利根川線は上毛野国と江戸を結んでいた。しかし、江戸の発展とともに高速利根川線の交通量は増加し、高速上は常に渋滞した。そのため、渋滞を避けてクルマは途中のICから一般道に降りたため、周辺の一般道は大混雑し、江戸の街の物流に影響がでた。そこで、家康ドンは考えた。高速利根川線を途中から分岐し東遷させて高速鬼怒川線に繋ごう。そうすると、高速利根川線の下流部の交通量が減って、渋滞を避けてICから降りるクルマも減って、江戸の街の渋滞も減るだろう。そこで家康ドンは関東郡代の伊奈忠次に命じて分岐東遷の工事を行わせた。工事は難航したが、約60年の年月をついやし、1654年に完成した。

 しかし、高速利根川線のクルマが合流したため高速鬼怒川線の下流域の交通量が増えてクルマの流れが悪くなった。それは高速鬼怒川線の中流域へも影響がおよび、平日はともかく、連休などにおいては、大渋滞が発生し水海道ICからクルマがあふれ、周辺の一般道はクルマであふれた。

 ちなみに、埼玉県の伊奈町は、関東郡代伊奈家の屋敷があったことに因むという。

 平成27年9月の鬼怒川大渋滞の原因を作ったのは家康ドン(笑)

■ 用語の説明
・ 線(せん)=川(せん)
・ 渋滞=川の流速の低下
・ ICから一般道へ=氾濫

■ 平成27年台風17・18号関連豪雨と地名

■ 170804: 茨城県の「十一面山」、2年前に洪水があったとこだよなぁ。
・ 茨城県常総市の鬼怒川の東側に河畔砂丘林があり、その高台を「十一面山(若宮戸山)」という。鬼怒川の流れが運んできた砂を冬の北西の季節風「日光おりし」が吹き寄せたもの。この砂は高度成長期に工事のために東京に運ばれた。「十一面山」は常総市本石下(もといしげ)にある「金椿山泉蔵院十一面観音堂」に由来する。【天災と日本人 − 地震・洪水・噴火の民俗学  畑中章宏 ちくま新書】

家康、江戸を建てる 門井慶喜

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