真田丸にみる名字と地名
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平成28年のNHKの大河ドラマは「真田丸」。原作無しの三谷幸喜の書き下ろしのようです。

「真田丸」は大阪の陣の時に大阪城の南に築いた真田家の砦のことですが、真田家と言えばやはり信州が舞台。

【名字編】

■ 脚本: 三谷幸喜

■ 真田信繁(さなだ のぶしげ): 雅人
■ 真田信幸(信之)(さなだ のぶゆき)・信繁の兄: 大泉
■ きり・信繁のパートナー: 長澤まさみ: なんか、この配役のキャラが話題になっているようですねぇ。三谷ワールドですかね?
■ 真田昌幸(さなだ まさゆき)・信繁の父: 草刈正雄
■ 真田信尹(栗原英雄)
■ 薫(かおる)・信繁の母: 高畑淳子
■ 松(まつ)・信繁の姉: 木村佳乃(本名:東山佳乃・ひがしやま よしの)
■ とり・信繁の祖母: 草笛光子(本名:栗田 光子・くりた みつこ、旧姓:富田
■ 梅(うめ)・信繁の初恋の女性で地侍の堀田作兵衛の妹: 黒木
■ 堀田作兵衛(ほった さくべえ): 藤本隆宏
■ 高梨内記(たかなし ないき)・きりの父で昌幸の側近: 中原丈雄
■ 佐助(さすけ)・忍び: 藤井
■ 小山田信茂温水洋一): 岩殿城
■ 小山田茂誠(高木渉)
■ 小山田八左衛門(八田浩司)
■ 矢沢頼綱(綾田俊樹)

■ 徳川家康(とくがわ いえやす): 内野聖陽
■ 本多正信(ほんだ まさのぶ)・徳川家の家臣: 近藤正臣
■ 本多忠勝(ほんだ ただかつ)・徳川家の家臣: 藤岡
■ 小松姫(こまつひめ)・信幸の正室で本多忠勝の娘: 吉田
■ 阿茶局(あちゃのつぼね)・家康の側室: 斉藤由貴
■ 北条氏政(ほうじょう うじまさ): 高嶋政伸
■ 上杉景勝(うえすぎ かげかつ): 遠藤憲一
■ 室賀正武(むろが まさたけ)・信濃の豪族: 西村雅彦
■ 出浦昌相(いでうら まさすけ)・元信濃の豪族: 寺島
■ 滝川一益(たきがわ かずます): 段田安則
■ 武田勝頼(たけだ かつより): 平岳大
■ 服部半蔵(浜谷健司)
■ 石川数正伊藤正之)
■ 大久保忠世
■ 平岩親吉
■ 織田信長吉田鋼太郎)
■ 織田信忠玉置玲央)
■ 上杉景勝遠藤憲)
■ 直江兼続村上新悟)
■ 北条氏政高嶋政伸)
■ 北条氏直(細田善彦)
■ 滝川一益段田安則)
■ 穴山梅雪(榎木孝明)
■ 跡部勝資(稲荷卓央)
■ 木曽義昌(石井愃一)
■ 明智光秀(岩下尚史)
■ 長可
■ 鳥居元忠
■ 豊臣秀吉(小日向文世)
■ 北政所鈴木京香)
■ 福島正則
■ 羽柴秀長
■ 小早川秀秋浅利陽介)
■ 加藤清正新井浩文)
■ 片桐且元(小林隆)
■ 茶々竹内結子): 淀殿
■ 石田三成山本耕史)
■ 大谷吉継片岡愛之助)
■ 豊臣秀次新納慎也)
■ 豊臣秀頼中川大志)
■ 長崎基家(松田賢二)

【地名編】

■ 岩殿城: 小山田氏の居城で、堅城として名高い。
・ 岩殿(いわとの): 山梨県大月市賑岡町岩殿。地名の由来は岩殿山にちなむ。

■ 岩櫃城(いわびつじょう): 室町時代から戦国時代の山城。永禄6年、山田憲広の強圧によって一時信州にのがれていた幸重は信玄の力添えによって吾妻に帰り、武田方の真田・甘利ら3000の兵で岩櫃城を攻めて憲広を追い、憲広は越後の上杉謙信を頼って落ちのびた。吾妻奪回をねらう憲広は真田幸隆と争奪戦を繰り返したが、同8年11月幸隆の軍に破れ滅亡した。武田信玄は幸隆を吾妻郡代に任じ、岩櫃城には真田氏一族の海野幸光を城将として入れた。以後当城は武田軍の西上野侵攻の拠点となり、天正10年まで真田氏の支配が続き、同年3月、甲斐を追われた武田勝頼を、真田幸隆の子昌幸は吾妻郡で再興を画ろうと当城に迎える計画を立てたが、田野(山梨県)で勝頼主従が自刃したので、果たせなかった。その後は真田昌幸の支城として小田原攻めを迎え、矢沢頼綱が当城を守備した。慶長5年の関ケ原の戦で真田昌幸は大坂方の西軍に味方したが矢沢頼綱ら、岩櫃城の守将らは徳川方であったために昌幸に敵対した。合戦ののち、昌幸は九度山に追放となり、子の信之は上田城を徳川家康から安堵されたものの、家康をはばかって、元和2年ごろ、当城は破却され廃城となった。【出典
・ 岩櫃山(いわびつやま): 群馬県吾妻(あがつま)郡吾妻町にある山。山の形が櫃のように見えることからこの名がある。【出典

■ 群馬県沼田市: 真田幸村の兄の信幸の城下町。

■ 新府城(しんぷじょう): 山梨県韮崎市。戦国末期の城。天正9年に武田勝頼が甲府の館(躑躅ケ崎(つつじがさき)館)を廃して本格的な城郭として築いた武田家最後の城。新府とは、それまでの甲斐の府中(甲府)に対して新府中という意味である。【出典
・ 武田勝頼が長篠合戦に敗れ、急遽作った新城につけた名前。国府(甲府)をここに移すという意味。【出典

■ 長野県上田市: 戦国時代真田家の城下町。

■ 長野県上田市真田町: 真田家の発祥の地。

■ 長野県長野市松代町: 江戸時代真田家の城下町。

■ 名胡桃(なぐるみ)城: 群馬県利根郡みなかみ町下津

■ 160713: 「岩櫃」と「岩殿」
勝頼が岩櫃城ではなく岩殿城に行ったのは浅間山が噴火したから、とも言われている。噴火した日に織田勢が信濃国に入った。浅間山の噴火はかなり大きく、安土城からも確認されたという。歴史にモシはないというが、もし浅間山が噴火しなかったら武田勝頼は岩櫃城に行ったかもしれないし、そうすれば武田家の運命もまた別のものになっていたかも。もし浅間山ではなく富士山が噴火していたら?

■ 160716: 信繁か幸村か?
 真田信繁の信繁はもともと武田信玄の弟の名前をもらったもの。たとえば、松平元康のように今川義元の元の一字を貰うのはよくあるが、全部もらうのは珍しい。そもそも、昔の有名人の多くは、名字無しで名前だけで通るので、あまりかぶった名前をつけるケースは少ない。「頼朝」「信長」「秀吉」「家康」「政宗」「光秀」など、名字がなくても誰だかわかる。しいていえば「長政」だけは複数の人物が頭に浮かぶ。
 とすると、信繁と言ったら武田信繁か真田信繁か?私は、どちらも思い浮かばない。
さて、真田家関ヶ原の合戦を前に東西にわかれたのは有名な話だが、東軍についた兄の信幸は家康をはばかって「信幸」を「信之」と変えた。なぜなら「幸」は真田家通字であるから。
そして、事実上真田家の跡継ぎになった信繁が真田家の通字の幸をつかって真田幸村とした。信繁が真田幸村を称した公式な記録はないから、「幸村」は間違いだという考えがあるが、通称としては使っていたらしい。高野山に流され、大阪城に入城する短い期間の通称、したがって「真田丸」や「真田伝説」には「真田幸村」の字面がよく似合うと思う。
今でいえばこうか?女優の高樹沙耶が参議院選挙で当選して国会議員になれば、歴史に残る名は「高樹沙耶」で、一時「益戸育江」を称していたことは忘れ去られる。
そういや、先日「上田」の旅番組を見ていたら、上田城の周辺の商店街の「のぼり旗」は全部真田幸村だったような。そうそう、上田駅前の像も。幸村でいいのかなぁ、信繁はどうもしっくりこない。

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