日本の歴史がわかる本書
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 日本の歴史がわかる本 小和田哲男 三笠書房

# 徐福(じょふく)
・ 中国の「秦」の時代の人で、始皇帝から「不老長寿の薬を探せ」と命じられ日本に渡って来た。以前は伝説上の人と言われてきたが、最近実在の人と判明。
・ この人は紀元前219年に日本に渡り、縄文時代から弥生時代に移行しようとしていた日本の国の文明開化に大きな役割を果たした。
・ このように大陸から日本に文明を伝えた人は多く存在するが、その代表的な人として史実に名を残す。
・ 「徐福伝説」は青森から鹿児島まで各地に残っているそうだ。

# 縄文に代から弥生時代に
・ 縄文時代は「石器」「狩猟」文化であったが、弥生時代は「鉄器」「農耕」文化である。そして、弥生時代には「資産(私有財産)」という概念がおき、鉄器による武器の発達をも伴って「争い毎」が増加した。
・ 当時、「鉄」は鉱石からでは無く、「葦(あし)の根」を原料として作っているようだが、膨大な葦が必要なんでしょうね。
・ 縄文時代の人口は約26万人(東日本25万人・西日本1万人)。ただし寒冷期を迎えた縄文末期には全国で約7.5万人

# 縄文時代には竪穴住居がいくつか集まって「ムラ」を形成していたが、その集団には指導者(首長)がいなかったことから「ムレ」であるという考え方もある。

# 魏志倭人伝による「邪馬台国」
・ 卑弥呼を中心に七万戸の人口を擁する。
・ 邪馬台国は周辺の二十一カ国と連合国家を形成していた。
・ 邪馬台国の位置は諸説あるが、九州の筑後川流域では無いかという説もある。
・ 邪馬台国の南には「狗奴(くな)国」という強国。
・ 邪馬台国は大和朝廷の原型となる畿内勢力によって滅ぼされた。他には「邪馬台国が東に勢力を伸ばし大和朝廷になった」「狗奴国が邪馬台国を滅ぼして、九州に遠征した原大和国家を滅ぼして大和朝廷になった」という説もある。
・ 魏志倭人伝に記された倭の地名: 「対馬国」「一支国(壱岐国)」「末廬国」「伊都国」「奴国(博多付近)」「不弥国」「邪馬台国」

# 古墳時代
・ 三世紀の日本には「吉備国」「出雲国」などの「邪馬台国」と同規模の国があった。大和朝廷となる神武天皇率いる原大和国家三輪王朝(奈良盆地の三輪山付近)もその一つ。
・ 四世紀後半に王朝は三輪から大阪の河内平野に移り住んだ。
・ 369年、倭軍の朝鮮出兵。任那(みまな)に日本府を置く。
・ 原大和国家は四世紀後半には、日本を代表する勢力となり朝鮮半島「任那(みまな・加羅)」まで領地を伸ばしていた。
・ 五世紀後半には吉備の王による反乱があった。
・ 六世紀前半には筑紫の豪族で八女を本拠としていた磐井氏を中心とした九州の乱があった。
・ 継体天皇の三代後の欽明天皇によって日本統一はほぼ達成された。
・ 欽明天皇の頃に仏教が伝来した。しかし物部氏はこの仏教の受け入れに反対した。その結果、「朝廷内の軍事派」の物部氏と「朝廷内の文民派(財務)」の蘇我氏(渡来人)との対立が深まり、ついには蘇我氏が物部氏を滅ぼした。
・ 推古天皇の即位後の180年間の15代の天皇の内8代は女帝。
・ 聖徳太子は「冠位十二階」や「十七条の憲法」を作った。
※ 冠位十二階: 603年制定。朝廷で被る冠で位階をあらわした。
※ 十七条の憲法: 604年制定。日本最初の成文法。
・ 中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足は蘇我氏を滅ぼした。この時期から藤原氏(中臣鎌足)の勢力が拡大されていった。(大化の改新)
※ 大化の改新: 「私地私民の禁止」「地方行政制度の制定」「戸籍・計帳・班田収集法の制定」「新しい税制の制定」。
・ この時期、白村江(はくすきのえ)の戦いで唐の水軍に大敗し朝鮮半島から完全に撤退した。
・ 壬申の乱: 天智天皇の弟の大海人皇子(おおあまのおうじ・後の天武天皇)と天智天皇の子の大友皇子(後の弘文天皇)の争い。大海人皇子が勝利し、673年に天武天皇となった。天皇という称号が使われたのはこの時からとか。
・ 天武天皇の孫の代の701年に大宝律令がだされ律令国家体制が確立。
※ 班田収集法: 土地は共有を基本とし、6年毎に6才以上の男子に二段、女子にはその三分の一減の口分田が班給された。
※ 祖(稲の収穫の3%)、雇(十日間の労働のかわりに納める布)、調(その地方の特産物)の税の他に雑?(ぞうよう)という60日の労働が課せられた。

# 奈良時代から平安時代
・ 藤原氏の権力維持の方法の一つとして他氏排斥があった。
866年、大納言の伴善男を放火の犯人として失脚させる(応天門の変)
901年、右大臣の菅原道真を太宰府に追放

・ 藤原道隆の娘の定子が一条天皇の中宮になった。この定子に使えた女官が清少納言。
・ 藤原道長の娘の彰子が皇后となった定子に変わって一条天皇の中宮になった。この彰子に使えた女官が紫式部。

# 武士の誕生と鎌倉時代
・ 諸国の武士団の棟梁の代表は「桓武平氏」と「清和源氏」だが、「前九年の役」と「後三年の役」を鎮圧した源義家の源氏の勢力が強まった。
・ 源氏の勢力を恐れた白河上皇は伊勢平氏の長の平正盛・忠盛親子を引き立てた。
・ 後に平清盛が勢力を持ち、平治の乱で源義朝を倒して太政大臣に登りつめた。
・ その後源平の合戦を経て、1192年に源頼朝が鎌倉幕府を開いた。

# 室町幕府と南北朝時代
・ 文永の役と弘安の役の元の襲来で、鎌倉幕府の御家人たちは窮乏し鎌倉幕府も衰えていく。
・ 1338年に室町幕府が開かれた。
・ 南北朝時代を制したのは三代将軍の足利義満。 

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