「古事記」の読書
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■ 古事記とは

 古事記

・ 参考: 古事記物語 鈴木三重吉著 他

※ 古代を謎解くとするとやはり「古事記」に行き着く。とは言え、難しいので上記の読みやすい「古事記物語」を読んでみた。

# 日本列島が出来た順番: 淡路島、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州。合わせて、大八島。

# 国譲り神話

・ 出雲国稲佐の浜(いなさのはま)は島根県出雲市大社町にある海岸で古事記の「国譲り」にでてくる重要ポイントである。

・ 大国主命は地界を天照大神の子孫に「国譲り」する見返りに出雲の大社を作って祀るように要望して自殺した。

# 天照大神の子孫の鵜茅草茸不合命(うがやふきあえずのみこと)の四人の子のうちの末息子の神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれひこのみこと)が「高千穂の宮」に行って天下を治めた。しかし、日向はへんぴで政(まつりごと)をするのに不便だったので、豊前の宇佐を経由して筑前国に移動した。筑前の岡田宮に一年いた後に、安芸国の多家理宮(たけりのみや)に七年、備前国の高島宮に八年住まい、そこから船で摂津の浪速(なみはや)を越えて河内国の青雲の白肩津(しらかたのつ)という浜に着いた。そこで、地元の兵に攻撃を受け、紀伊国の熊野についた。そこから大和国の吉野川の河口を経由して大和国の宇陀(うだ)へ、そして忍坂(おさか)へ。そこで、大空の神の血筋の「にぎはやひのみこと・芸速日命」とあう。
うん?ここでも「伊那佐という山での戦い」が記されている。出雲のいなさ(稲佐)と関係は?

そういった経過を経て、神倭伊波礼毘古命は天下を平定して大和の橿原宮で初代の天皇となる。つまり神武天皇とは神倭伊波礼毘古命のこと。神武天皇は137才まで生きたとさ。

# 第十代の崇神天皇(すじんてんのう)の皇女の豊鍬入姫命(とよすきいりひめ)が初めて伊勢の天照大神の社に仕えて祭事を司った。これって「斉王」?

# 出雲大社が壮大なのは最初からだったのか?古事記をみると、垂仁天皇の皇太子が生まれつき口が聴けないのを、出雲な大主(おおかみ)の祟りとして、壮大な社を作って祀ったのでは?

# 白い鳥:  第十二代の景行天皇の子が、九州の熊襲建(くまそたける)兄弟を成敗したときに、日本武尊と名づけられた。

# 朝鮮の王子の天日矛(あめのひほこ)
新羅の阿具沼(あぐぬま)のほとり。赤い玉から生まれた娘と結婚したが、あまりワガママを言うので、妻は「親の国に帰る」と言って、小舟で摂津の難波の津まで逃げ帰った。そして、阿加流媛(あかるひめ)と言う神さまとして祀られた。
天日矛は妻を追いかけて、難波の海まで来たが、そこの海の神が邪魔をして入れてくれないので、但馬に回ってそこで上陸した。そして、そこで嫁を貰って住み着いた。日矛はそこに来る時に鏡などの宝物を八品持って来た。その宝物は伊豆志(いずし)の大神という神様として祀られた。

# 応仁天皇の時代、新羅から沢山の人が渡って来た。応仁天皇の子が仁徳天皇

# 允恭(いんきょう)天皇は、日本中の部族の中で銘々にいいかげんな姓を名乗っているのを嘆いた。 

■ 190511: 古事記には、スサノオが泣くと、青々とした山が枯れるとある。スサノオは、嵐の神。【火山で読み解く古事記の謎 蒲池明弘  文春新書】

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