「鎌田」の名字の由来 | |
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■ 鎌田(かまた)
【2023/05/23:改編】
# 175位【知っておきたい家紋と名字 別冊宝島】
# 代表家紋
# 地名姓で各地にみられる。
# 鎌田(かまた): 阿波国名東郡の名東城(徳島県徳島市名東町)城主。藤原姓。光久が名東城主となったのが祖。光久は1562年に和泉国久米田合戦で討ち死。子の光康は1579年の長宗我部元親の阿波侵攻で討ち死にした。その子の光義は名東城のほか、日開城主も兼ねたが、1582年の中富川の合戦で討ち死にした。【出典】
# 陸奥の鎌田氏は陸奥国伊達郡鎌田荘(福島県福島市鎌田)をルーツとする。大和国から宇野信治が下向し鎌田氏を称した。
# 伊豆の鎌田氏は伊豆国伊東荘鎌田(静岡県伊東市鎌田)をルーツとする。
# 阿波国名東郡の名東城(徳島市名東町)城主。藤原氏の出。光久が名東城主になったのが祖。光久は永禄5年(1562年)に和泉国の久米田合戦で討ち死にした。子の光康は天正7年(1579年)の長宗我部元親の阿波侵攻で討ち死にした。その子の光義は名東城に加えて、日開城の城主も務めたが、天正10年の中富川の合戦で討ち死にした。【出典】
# 土佐の鎌田氏は土佐国吾川郡鎌田(高知県吾川郡いの町鎌田)をルーツとする。
# 薩摩の島津家の鎌田家は駿河国磐田郡御厨村鎌田(静岡県磐田市鎌田)をルーツとし、藤原北家の首藤氏の一族。
# 香川県の鎌田家
# 鹿児島県の鎌田家
# 鎌田(かまた): 福島県福島市鎌田。地名は、弘長年間鎌田信治という者が大和国から来て居住したことに由来するという。【出典】
# 鎌田(かまだ): 福島県いわき市平鎌田。
# 鎌田(かまだ): 静岡県伊東市鎌田。
・ 鎌田村: 室町時代から伊豆国伊東荘にみられた村名。
# 鎌田(かまだ): 高知県吾川郡いの町鎌田。地名については、「元親記」の当国波川謀叛之事に「兎角一類(波川氏)の者可被相果の条、只一所に可罷成と申請て、鎌田の城へ取籠(……)天正八年五月中旬に押寄不残果されし也」とあり、長宗我部元親によって鎌田城が攻略された旨が記されている。鎌田城は波川城の支城で、仁淀川岸の権現山に位置し、城主は曽我弥次郎と伝える。【出典】
# 「かま」の語源
# 「田」のつく名字。
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