「くさかり」の名字の由来
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■ 草刈(くさかり)

【2013/05/11:新載】

# 3031位

# 全国に約4600人【全国分布

# 藤原北家秀郷流、藤原北家の道兼流などにみられる。

# 地名姓

# 宮城県と山形県に多くみられ、特に宮城県大崎市と山形県山形市に多くみられる。

# 陸奥国斯波郡草刈(岩手県紫波郡紫波町草刈)をルーツとし、足利尊氏から草刈姓を賜った。

# その他、岩手県北上市、岩手県一関市、秋田県秋田市、秋田県大館市、秋田県大仙市、秋田県由利本荘市、宮城県大崎市、宮城県石巻市、宮城県角田市、、山形県酒田市、千葉県市原市、愛知県新城市、愛知県知立市、愛知県田原市などに「草刈」のつく地名がみられる。

# 主に東日本に地名が存在するようで、そのせいで名字の分布も東日本が中心か?

# 主なルーツ地

・ 陸奥国斯波郡草刈(岩手県紫波郡紫波町草刈)をルーツとする。

# 「草」のつく名字

■ 草苅(くさかり)

【2023/04/25:新載】

# 美作国東北条郡の国衆陸奥国の草苅氏の一族。南北朝時代には祖の貞継が因幡国智頭郡に所領を得て下向し、淀山城(鳥取県智頭町)を築いたのが祖。子の氏継は明徳の乱山名氏清を討った。戦国時代には衡継は気多郡や岩井郡にも勢力を広げて尼子氏と対峙した。天文2年(1533年)には美作国に高山城(岡山県津山市加茂町)を築いて美作国に進出した。衡継の子の景継は天文11年に毛利氏に従ったが、ひそかに織田信長に接近したことが露見して天正3年(1575年)に切腹した。代わって、高山城主になった弟の重継は毛利氏方の武将として宇喜多勢と戦った。天正10年の高松城攻めののちに宇喜多氏と毛利氏は和睦し、美作国は宇喜多氏の所領となったが、重継は開城を拒んで宇喜多氏との戦いを続けた。しかし、毛利氏の再三の勧告によって翌11年に開城して、のちには長州藩士。【出典

# 「草」のつく名字

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