「葛西」の名字の由来
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 「か」行の名字

スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 葛西(かさい)

【2022/10/18:改編】

# 566位

# 桓武平氏清和源氏などに見られる。

# 代表家紋

# 福島県、宮城県、岩手県、青森県など東北地方の太平洋側に多く見られ、青森県つがる市の旧森田村では最多姓だった。

# 戦国時代には陸奥国北部の有力大名だったが、豊臣秀吉の東北平定に抵抗して滅亡した。【出典

# 葛西氏: 陸奥国戦国大名桓武平氏豊島氏の一族。豊島清光の三男の清重が下総国葛西郡葛西御厨(東京都葛飾区・江戸川区)に住んで葛西氏を称した。治承4年(1180年)の源頼朝の挙兵の際、清重は父の豊島清光とともに従って奥州攻めで功を上げ、陸奥国に所領を与えられて奥州惣奉行に任ぜられた。鎌倉時代、本家は下総国に住んでいたが、四代の清経の頃に奥州に転じたという。南北朝時代には日和山城に拠って南朝の北畠顕家に従った。清経の子の清貞は石巻城に拠り、以後奥州葛西氏が本家になった。室町時代には陸奥国北部の有力大名になって多くの庶子家を出した一方、内訌によって伊達氏が介入された。戦国時代には寺池城を本拠として、牡鹿・登米・本吉・磐井・胆沢・江刺・気仙の葛西七郡を支配した。しかし、天正18年(1590年)の豊臣秀吉小田原攻めに参陣せず、所領を没収された。晴信は佐沼城に拠って秀吉に抵抗し、伊達政宗に討たれて滅亡した。【出典

# 青森県:12位、北海道:132位、岩手県:264位、宮城県:454位、三重県:495位など。

# 全国では566位(約36800人)の名字だが、青森県(12位約12000人)と約1/3は青森県に分布する。

# 主なルーツ地: 下総国葛西郡葛西御厨(東京都葛飾区・江戸川区付近)をルーツとする。

# 下総国葛西郡葛西御厨(東京都葛飾区・江戸川区付近)をルーツとする桓武平氏で、源頼朝に従って奥州征伐後は奥州総奉行となり陸奥国に勢力を延ばし、後の奥州葛西氏の祖となった。

# 鎌倉時代の葛西氏は宮城県石巻市あたりを本拠地としたが、戦国時代には登米郡を本拠地とした。

# 宮城県の葛西家 

# スキージャンプの葛西紀明は北海道上川郡下川町出身。

# 葛西家(かさいけ): 家紋「三つ柏紋」
・ 陸奥国登米郡登米(宮城県登米市)を本拠地とした。
・ 桓武平氏豊島氏の一族で、下総国葛西郡葛西荘をルーツとする。奥州合戦の功で、奥州総奉行を命じられた。16代の晴信は天正18年(1590年)の小田原の陣に参戦せず、所領を没収された。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】

# 「クズ・クジ・グジョ」の語源

# 「東西南北」のつく名字

都道府県毎の名字の特徴 名字の様々な区分
難読名字 難読地名・珍地名
地名と災害 名字の博物館
名字と地名・都道府県編 民俗学の広場内の検索

■ このサイトで使用している「名字の順位」「全国の概算数」「都道府県毎の順位」などについてはこちらを御覧下さい。詳細】 

統計表示