「小田切」の名字の由来
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■ 小田切(おだぎり、こたぎり) 

【2022/01/08:改編】

# 漢字三文字苗字ランキング: 37位

# 代表家紋

# 信濃国佐久郡小田切(長野県佐久市)をルーツとし、海野氏庶流。【出典

# 長野県伊那地方では「こたぎり」読み。【名字でわかるあなたのルーツ 森岡浩 小学館】

# 小田桐にも通用す。信濃国発祥の名族。信濃国伊那郡小田切を領した滋野氏流海野氏族で、海野幸氏の後裔の小田切堯元が称した。子孫は村上義清武田信玄などに仕えた。一族は各地に散り、越後国蒲原郡に小田切駿河守の城址が、武蔵国橘樹郡獅子ヶ谷(横浜市鶴見区)に小田切美作守の城址がある。代表家紋は「二つ引き両紋」「桔梗紋」「笹紋」「柏紋」。【出典】【家紋のデータ

# 信濃国佐久郡小田切(長野県南佐久郡臼田町小田切・現佐久市)をルーツとする。【出典

# 吉窪城の小田切氏も同族。南北朝時代に信濃国水内郡小市(長野市)に転じ、吉窪城に拠った。代々武田氏に仕え、江戸時代には旗本。【出典

# 青森県の小田切家: 陸奥国黒石藩の家老。【出典

# 現在は、長野県と山梨県にまとまってみられる。【出典

# 小田切土佐守直年

・ 北町奉行。

・ 先祖は、武田信玄に仕え、武田家が滅亡の後には、三代光猶(みつなお)が、家康に召し出された。当初は150石、直年の代には2930石。駿府町奉行、大坂東町奉行などを経て、寛政4年、50歳で北町奉行。大坂町奉行時代の家来に、後に十返舎一九となる重田貞一がいた。重田は駿府の千人同心の息子で、小田切に仕えた。しかし、小田切に従って大坂に転じた際に武士を捨てて芝居町に引っ越した。小田切は、犯罪の認定が難しい場合には軽い方の罪に問うという判例を作った。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】

# 「田」のつく名字

# 「小」のつく名字

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