名字の出自の解釈
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★ 名字の出自の流れ

★ 一概に「名字の出自」といいますが、ごく一部の名字を除いて、その出自は多岐にわたるのが通例です。このサイトに掲載してある出自や由来も、記録に残っている代表的なものだけで、他にも沢山あるということを御理解下さい。

★ 名字の出自は川の流れが如し
 利根川は、群馬県北の大水上山(おおみなかみやま)を源流とし、多くの支流を集めて千葉県銚子市・茨城県神栖市付近で太平洋に注ぎます。
 この場合、源流から船に乗って流れに任せれば、銚子の河口にたどり着きますが、銚子から利根川を遡っても源流にたどり着くとは限りませんね。
 名字の出自の流れもこれと同じ(真逆ですが)なんですね。
 例えば、甲斐の武田家から下っていけば、断絶がないかぎり今の武田家のどこかにはたどり着きますが、今の任意の武田家を遡っても、甲斐の武田家に行き着くとはかぎらないんですね。逆に、現在違う名字を名乗っている家が、遡れば甲斐の武田家のたどり着く可能性もあるんですね。

 そこで、ここでは、多岐にわたるということはどういうことなのか、「武田」という名字を例に述べてみたいと思います。

竹田】(「武田」の原意は「竹田」)
- - - -
-  ┌← 常陸国吉田郡武田郷にちなんで武田氏を名乗った(清和源氏 - - 常陸国行方郡武田にちなんで武田氏を名乗った(桓武平氏
- - -
武田の地名由来の武田 常陸の武田氏が甲斐に移り住んで甲斐武田氏を名乗った - -
→┬   →┐  
武田信玄 武田信次※2
武田※1 武田勝頼(断絶?) 改姓※3 改姓
-
-
-
竹田 武田A 武田B 武田C - 武田D 他の名字 武田E 他の名字
(1) (2) (3) (4) - (7) (8) (9) (10)

※1: 昔は「竹田」姓が多かったようだが、戦国の雄の「武田信玄」があらわれてから、「竹田」から「武田」に転字した家が多く、今では「武田」の方が優勢と言われています。
※2: 武田信次: 武田信玄の弟の信次が出羽国米沢に移り、後に伊達氏に仕え東北の武田氏の基盤をつくった。
※3: 「蝦夷国_松前氏」「出羽国浅利氏」など。

(1) 昔の「竹田」姓を今も受け継いでいる流れ。
(2) 昔は「竹田」姓だったが、武田信玄に代表される「武田」氏にあやかって、「武田」に改姓した流れ。
(3) 中世から現代にかけて、「武田」の地名にあやかって「武田」姓を名乗った流れ。しかし、意外に「武田の地名」は少ないですから、この流れは少ないのかな?
(4) 常陸国吉田郡武田郷にちなんで武田氏を名乗った清和源氏の流れ。
(7) 甲斐の武田氏の流れで、「信次」の流れ以外にも幾筋か存在する。
(8) 甲斐の武田氏の流れだが、他の名字に改めた流れ。
(9) 常陸国行方郡武田にちなんで武田氏を名乗った桓武平氏の流れ。
(10) 常陸国行方郡武田にちなんで武田氏を名乗った桓武平氏の流れだが、他の名字に改めた流れ。

■ このように、大体でもこの10種類の流れが考えられ、現在「武田」を名乗る流れだけでも5種類くらい考えられます。従って、「武田は、常陸国吉田郡武田郷をルーツとする清和源氏」などの出自が書いてあっても、全てがそうというわけでは無く、いやほとんどはその流れでは無く、一般には「武田A」や「武田B」が多いと言われていますね。従って、名字の出自や由来を考える場合には、「ごく限られた流れ」にとらわれず、大きな目で見る必要があります。
 これもたとえになりますが、「血液型占い」をみるような「大きな目と広い心」でみる必要があります。思い込みと決めつけは厳禁です、そういうものなんですから。

■ この系譜は名字の出自の説明のために簡略化したもので、歴史的事実とは若干異なる場合がありますので、御了承下さい。

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